タンゴは1870年~1880年頃、ブエノスアイレス南部のラ・ボカ地区周辺で生まれました。その当時、船乗りや労働者、貧しい移民たちが集まる場末の酒場に、夜な夜なギターやフルート、クラリネット、バイオリンといった楽器を持った流しの楽団が集まり歌やダンスの伴奏をしていました。
演奏されていたのは移民たちがヨーロッパから伝えたワルツやポルカ、キューバ生まれのハバネラ、隣国ウルグアイの黒人音楽カンドンベなど・・・そういった様々な国々の音楽の要素が、渾然一体のごった煮のようになって発生していった音楽がいつしかタンゴやミロンガと呼ばれるようになっていったのです。
当初は下層階級の音楽として軽視されていたタンゴでしたが、20世紀に入ったころから一般市民にも徐々に人気を得て広がりを見せ、高級店や大きな舞台での演奏の機会も増えたことから、編成も次第にバンドネオン、バイオリン、ピアノ、コントラバスが標準編成となっていきます。
第一次世界大戦前後にはヨーロッパの社交界でももてはやされ世界的な人気を得て、コンチネンタル・タンゴといわれるヨーロッパ生まれのタンゴも盛んになりました。
その後、本国アルゼンチンでは1930年前後と1940年代の二度にわたる「黄金時代」を経て、優れた作曲家や演奏家が次々と登場し、音楽的にも洗練され円熟していきました。
1950年代後半からはタンゴの人気に陰りが見え始め、大掛かりな楽団やダンスホールは姿を消していきますが、アストル・ピアソラをはじめとした音楽家たちが新しい形のタンゴを模索し始めました。
1980年代に入るとピアソラの音楽やダンスショー『タンゴ・アルヘンティーノ』の世界的大ヒットなどもあって、アルゼンチンタンゴの再評価が始まりました。
2009年にはタンゴはユネスコの世界遺産(無形文化遺産)にも登録され、アルゼンチン国外でもタンゴを愛好する人々はふたたび増加しています。
アルゼンチンタンゴの魅力はなんといってもその強烈なリズム。あえて打楽器を使わずに生み出される歯切れのいいリズムは、タンゴの持つエネルギーの源泉になっています。そのリズムに絡む哀愁とロマンのただよう旋律は、遠い昔に海を渡ってきた移民たち、下町の名も無き人々の記憶なのかもしれません。